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健常者への擬態

健常者への擬態とは 健常者のフリをすることです。僕の具体的な話で行くと、ASDっぽい話し方をしない、ということでもあります。 ASDなどの発達障害は特性であり、病気ではないため治りません。よってASDの思考を改善することは不可能です。 ですが、行動を変えることはできます。自己の感情のコントロール方法を習得したり、なるべく話すときは笑顔でいたり、いくつかの手法を身に着けることで、人当たりをマイルドにすることができます。 その数ある方法のうち、僕は健常者への擬態という方法を選びました。フリをして、偽物の自分を見せるのです。どうがんばっても素の自分は変えられなかったので、いっそのこと見せなければいい、そういう思考に至りました。 この健常者への擬態を習得する流れを以下に示します。 きっかけ 具体的な詳細は忘れてしまいましたが、あるとき、どもり症を持つアナウンサーについて知ることがありました。 彼は話すときにどもってしまうものの、それでもアナウンサーになりたいという夢を叶えるべく、訓練をしたそうです。本来の自分とは違う自分を心の中で作り出し、その違う自分を演じることで、今の自分はどもり症を持っていないからどもることはない、と自分に言い聞かせた、とか。 僕はこの話を聞いて、自分でもできそうだぞ、と思いました。僕もどもりを持っているので、これで話し方が改善されれば奇異の目で見られることも減るはず、と訓練を始めました。始めましたが、僕はすぐに壁にぶつかります。 どもらずはっきり、空気が読めない発言をしたところで友達はできないのです。 ロジカルシンキング 結局のところ、話し方はそこまで問題ではありませんでした。問題は発言内容です。空気の読めない、正論吐きで人の心を持たない弱点ブッ潰しマシーンであるのが問題なのでした。生粋のASD思考と言って過言ではないでしょう。 ただここで不思議なのは、同じ話し方をされると僕は普通に傷ついていました。なぜ人の心を持たない弱点ブッ潰しマシーンである僕が、同じことをされると苦しいのでしょうか。 感覚がない 僕には重要な感覚が二つ抜けていました。一つは、相手を慮る配慮の心。もう一つは、相手の心に共感する繋がりの心です。 当時の僕にとって友達グループとは個の集まりであって繋がりではなかったのです。それに、人の心って何? 見えないものをどうやって